皆さんは、過去の戦争(第一次・第二次世界大戦)がどのように発生したかご存知ですか?
このような歴史を振り返ってみると、今ウクライナで起きていることの危険性が正しく見えてくると思います。
ロシアが歩んできた歴史からも、今後の動きが読み取れるかもしれません。
この記事では、誰でも分かるよう、ササっとかいつまんで過去の戦争について説明していきます。
この記事を読めば、第三次世界大戦が始まる時のシグナル(始まり方)が見えるようになるのではないでしょうか。
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第一次世界大戦は、どんな理由から始まった?
実は、第一次世界大戦のはじまりは、ロシアの侵攻が第一波となっています。
当時、ロシアはオスマン帝国(後のセルビア、ルーマニア、ブルガリア等)と対立していました。
1887年、ロシアは、オスマン帝国で起こった内乱を助ける名目で侵攻を開始します。
ロシアは、この戦争に勝利し、セルビア等の各国が独立することとなりました。
同時に、ご褒美的な形でロシアの領土が拡大しています。
これを見て、ドイツとその他の周辺国は大きな危機感を募らせました。
ドイツとロシアは同盟関係にありましたが、このままでは自分達もいつ裏切られるか分からないと疑心暗鬼にさせる侵攻だったという事です。
以降、ドイツを中心に、ロシアの拡大を阻止しようとする動きが進んでいきます。(ベルリン会議)
ロシアとの関係が悪化したヨーロッパ諸国は、ドイツ・オーストリア・イタリア等で同盟関係を結びました。
ロシアが攻めてきたら、協力して防衛しようという趣旨で、規模は小さいもののNATOのような役割です。
当時、まだどの国の支配下なのか不明確な地域が多く、植民地の奪い合いが起ころうとしている時でもありました。
フランスを筆頭に、各国が自国の支配と領土を広げようと焦っていた時代なのです。
ドイツの影響力を懸念していたフランスは、ロシア・イタリア等と手を結んで対抗しようと考えました。
ロシアもヨーロッパ諸国の動きは気に食わないものでしたから、フランスと組めるのは大きな意味がありました。
こうして、ヨーロッパが2つの勢力に分断し、緊張が高まることとなっていきます。
第一次世界大戦の開戦
緊張が高まると、各国は戦争に備えた軍備に力を入れ始めました。
その最中、オーストリアは、内戦で弱っていたボスニアヘルツェゴビナに侵攻し、領土を広げました。
周辺の人々(セルビア人)は、この侵攻に対して腹を立て、現在のロシアに対して向けられているような感情を抱いていたわけです。
そして、1914年、オーストリアの理不尽な侵攻に反対した19歳の青年が、サラエボ(ボスニアヘルツェゴビナ)に来ていたオーストラリア皇太子夫妻を殺害するという事件(サラエボ事件)が発生します。
セルビアのバックにはロシアがおり、オーストラリアの後ろにはドイツがついていました。
サラエボ事件から約1ヶ月後、オーストリアはセルビアに宣戦布告し、戦争が始まります。
開戦時の様子
サラエボと共にロシアが軍事行動を起こした為、ドイツは、ロシアに対して宣戦布告しました。
つまり、第一次世界大戦は、実質的にはロシアとドイツの戦争として始まったとも見ることができます。
そして、両国にはそれぞれ同盟を組んでいる三国があったので、とても大きな戦争へと発展していきました。
ドイツは、フランスとロシアに挟まれる位置にあり、フランスからの攻撃を懸念していました。
先にフランスを倒した方が有利だと考えたドイツは、フランスにも宣戦布告をし、攻撃を開始します。
これを見たベルギーやイギリスはフランス側につき、ドイツに対して宣戦布告します。
当時、日本はイギリスと同盟関係にあった為、日本もまたドイツに対して宣戦布告をしました。
戦争が長期化した
こうして振り返ると、戦いが戦いを呼び、世界大戦に発展していく様子が見て取れます。
そして、遠くの国でも、この戦争に乗じて、敵国の領土を奪ってしまおうという思惑が生まれました。
戦争が長期化すると、武器や弾薬が不足し、兵士達も疲弊してきます。
膠着状態が長引くようになり、補給路等を絶つ動き(海上戦)が目立つようになっていきます。
爆撃機や戦車等が登場するようになると、空や海から戦況を変えようとする戦略変化が起こりました。
この頃、イギリスとドイツの海上戦が激しくなり、そこでアメリカ人の乗る船が沈みました。
これを機に、アメリカも黙っていられなくなります。
ドイツへの反発を強めたアメリカは、イギリスへの物資支援等を決めますが、ドイツは潜水艦等を配備してこれを阻もうとしました。
その後、アメリカはドイツに対して宣戦布告することになります。(1917年)
後から参戦してくる諸外国の多くは、反ドイツ側につきました。
ドイツ側は、アメリカが本格的に参戦してくるまでに決着をつけようと、総力戦に入ります。
しかし、ドイツは、連合国化した相手に押され続け、停戦協議を余儀なくされる状況になっていきました。
停戦協議からの展開
1918年、ドイツ兵士達の中からは、命令に背いて戦わなくなるといったストライキ的な事象が出始めます。
世界中で「もう戦争にはうんざりだ」という機運が高まった時期でもあります。
ドイツは、この長すぎる大規模戦争に終止符を打つしかない状況になり、連合国側との停戦についてヴェルサイユ条約を交わします。
戦争の責任
戦勝国は、パリに集結しました。
約半年にも及ぶ会議(パリ講和会議)を経て、今後同じような事が起こらないようにどうすべきかを検討します。
丸5年も続いた戦争の責任は、敗戦国(ドイツ)に課される格好となります。
軍事力を削ぐ意味からも、多額の賠償金が課される結果となりました。
ドイツは国土の20%を失い、人口も減りました。
ドイツが拡大していた植民地は、すべて連合国の手に渡ることとなり、国内の資源採掘権等も連合国の支配下に置かれたのです。
このように、連合国は、ドイツだけに責任をとらせるような処分を下し、200兆円規模の制裁金を課しました。
第一次世界大戦では、1800万人もの死者が出ましたから、この金額が高いのかどうかは計り知れません。
第一次世界大戦で得をした国
第一次世界大戦が終結し、ドイツに制裁が課された時、領土について独立が認められた地域等もありました。
この時、ポーランドをドイツ領から切り離して独立させています。
連合国側からすれば、ドイツの国力を奪う事になり、ロシア側としても都合が良い部分があったのでしょう。
一方、ロシア自体を見てみると、第一次大戦前よりも領土が狭く整理されてしまったので、不満も残る結果だったでしょう。
こういった視点で見ると、第一次世界大戦で最も恩恵を受けた国は、ポーランドと言って良いのではないかと思います。
そのポーランドが、今ウクライナの避難民を無条件で受け入れているのを見て、不思議な因果を感じます。
この後、ロシアはソビエト連邦となり、第二次世界大戦へと話が進んでいくことになります。
第二次世界大戦の火種
ヴェルサイユ条約は、ドイツにとっては受け入れ難い内容でした。
正直なところ、しかたなく従っていた状況でしょう。
敗戦国は、一方的な支配下を飲むしかなくなる・・という現実がありました。
戦争に負けるという事がどれほどの国益を失うことになるのか、世界的にも教訓として刻まれた出来事です。
ですから、戦争は、一度始めたら限界までやるしかない状況に陥るわけです。
ドイツは、本土での戦争が無かったことが幸いして、インフラや工場等は無事でしたが、借金返済のための政策に失敗し、ハイパーインフレを起こします。
賠償金の返済計画が崩れた為、フランスは工場地帯等を侵攻して物納担保をしようとします。
その後、ドイツの通貨価値が紙切れ同然にまで低下したため、アメリカとイギリスは賠償金の支払い方法や金額を見直します。(1924年)
アメリカの介入によって経済復興を果たしていった事情から、アメリカは世界経済の中心的存在になりました。
世界恐慌から第二次世界大戦へ
終戦後、武器製造に使っていた生産力が機械等に注力できるようになり、世界経済は復興していきました。
しかし、そんな平穏もつかの間、アメリカのウォール街で大暴落(ブラックサーズデー)が起こり、これが世界恐慌に繋がっていきます。
ドイツでは失業者が異常な数にのぼり、選挙でナチ党が勝利し、ヒトラーがトップに立ちます。
ナチスは、ドイツを偉大な国にすることを掲げ、ヴェルサイユ条約で苦しんだ国民の気持ちを掴んだわけです。
ナチスドイツは、元々ドイツ領だった地域を侵攻し始め、日本とも同盟を結んでいきます。
日本は、この頃、満州を統治しており、中国へも侵攻していました。
韓国や中国が反日感情を持っているのは、このような侵攻の際に大量虐殺等があったと伝わっているからです。
当時の日本は、満州とモンゴルの国境でソ連と揉めていて、あわよくばドイツと共闘してソ連を攻める勢いでした。
アジアの暴れん坊だったわけです。
ポーランドを巡る話
ドイツとソ連は、ポーランド地域を巡って不可侵条約を締結します。
お互いに攻め込まない約束をしたわけですが、これには秘密協定のようなものがありました。
要するに、「ポーランドを両側から攻め、お互いに半分ずつ占領しよう」というような事だったのです。
水面下で利害が一致したドイツとソ連は、自国の利益のために戦争を始めます。
ナチスドイツは、宣戦布告なしにポーランドを侵攻し始めたのです。
これに対し、フランスとイギリスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦の勃発です。
この戦争に乗じて、密約の通りにソ連もポーランドを侵攻します。
ソ連は、これだけでは飽き足らず、フィンランドにも狙いを定め侵攻を始め、一部領土を拡大しました。
ポーランドは成すすべなく、両国のものとなってしまいます。
ナチスドイツの攻勢
ドイツの軍事侵攻は快進撃を続け、フランス領土も占拠していきます。
ヨーロッパの大半がドイツの支配下となりました。
一方、ソ連の方も、戦うことなく領土を広げており、両国の復活戦争のような結果でした。
こうして、ドイツとソ連の世界征服状態が加速していたのですが、事態は混沌としていきます。
ドイツはイギリスを次の標的としますが、思うように侵略できず、ソ連とも戦い始めます。
その後、ドイツ・イタリア・日本は、三国同盟を結び、共に世界征服を目指します。
ドイツは、ソ連に集中して攻め込むようになり、不可侵条約は実質的に意味のないものとなりました。
ソ連は、フィンランドに領土を取り戻される等、劣勢な戦況が続いていきます。
その徳碁、ソ連は日本と中立条約を結び、ドイツとの闘いに集中してモスクワを守り、戦況を好転させていきます。
アメリカの登場
アジアでは、日本が植民地を増やしており、アメリカがこれに警戒し、石油等について流通抑制(経済制裁のようなもの)を発動します。
東南アジアの占拠を目論む日本でしたが、アメリカが脅威的な存在として目障りでした。
特に、ハワイは日本攻撃の拠点となり得る場所だったのです。
そこで、日本は宣戦布告することなく、ハワイにある軍事施設を攻撃しました。(真珠湾攻撃)
やっている事はナチスや現ロシアと同じような事です。
日本の教科書では、このような事実を適切な描写で教えません。
アメリカはこの事件で本格参戦を決めますが、準備に時間がかかります。
この間に、日本は東南アジアを侵攻し、各地で大量虐殺を行っています。
世界中で差別的な殺人行為が横行し、虐殺がまん延する時代となったのです。
その後、アメリカは、日本の植民地を奪回し始め、徐々に攻勢を強めます。
同時期、アメリカでは核兵器も開発されていました。
ノルマンディー上陸作戦
ナチスドイツは、アメリカを筆頭とする連合国に少しずつ押され始めます。
そして、アメリカ・フランス・カナダの連合軍がノルマンディーに上陸する作戦を展開します。
さながら鬼退治です。
ドイツ軍は、ソ連の巻き返し攻勢にも直面しており、東側に広げていた占領地(元々ソビエト領)を大きく失います。
フランス軍もパリを奪還し、ユーゴスラビア軍もドイツを侵攻することに成功していきます。
こうして再び風前の灯となったドイツは、実質的に敗戦状態になります。
ヤルタ会談では、ルーズベルト大統領を中心に話し合いが進み、ポーランドを元の状態に戻すことが協議されました。
この際、ソ連はポーランド返還を拒否しました。
密約を交わしてまで手にいれたポーランドですし、ドイツの次は日本への侵攻も考えていたので、まだ戦争がしたかったのかもしれません。
この後、ソ連はベルリンを陥落させ、ヒトラーを追い詰めます。(この際、ヒトラーは自害)
そして、連合国に対してドイツは無条件降伏します。
戦勝国は、ベルリンでポツダム会談を開いて第二次世界大戦の処理を進めました。
結果、ドイツは、戦勝国によって分割統治されることになり、ポーランドも復活しました。
連合国は、日本を処分
ナチスと同盟国だったイタリアは、全ての植民地を返還することになりました。
連合国は、ナチスの同盟国だった日本に対しても無条件降伏をするよう勧告します。
ここですんなり敗戦国となっていれば、原爆は落とされずに済みましたが、後に引けないのが戦争の常のようです。
日本はこの勧告を無視し、アメリカは空爆を続けます。
そして、原爆が投下され、みなさんご存知の結末となります。
ソ連とアメリカは、日本が持っていた植民地を南北でわけて統治することにし、日本の領土から満州国や東南アジア領土が消えます。
最終的に、第二次世界大戦では、世界で7500万人が死亡したと言われています。
第三次世界大戦のはじまり
ここまでの話を読んだ方は、今世界で起きている事柄が、過去に戦争が始まった時に似ていると感じたのではないでしょうか。
第一次・第二次の世界大戦のような戦争を繰り返さないように、NATOや国連等がつくられたのですが、結局のところ自国の利権が優先されて機能していないのが実情です。
世界は再び分断し始めていて、分断の先には戦争があります。
日本がアメリカ(真珠湾)を攻撃した時のように、経済制裁は戦争の始まりにもなり得ます。
人は、何かが不足すると奪い合いを始めるという事ですね。
既に、サイバー世界や経済上においては、第三次世界大戦が始まっている状況でもあります。
経済制裁やサイバー攻撃は、目には見えないミサイルが放たれたのと同じです。
実被害があるので、相手国は報復を考え、行動してくるという予測をせざるを得ません。
歴史から学ぶ限り、そのような報復行動が起こる可能性が高いでしょう。
本格的に大きな戦争が始まるのは、過去の大戦の原因と似たような事が起こった時です。
ウクライナの侵攻は、まさにその1つでした。
次に、誰がどの国に味方(賛同)するのかという立場が明確になっていき、枢軸国と連合国に分断されていきます。
そして、中立国が巻き込まれて植民地化されるのが戦争の縮図でした。
過去(歴史)から学ぶかぎり、NATOやアメリカが実質的な攻撃をし始めたら、もう誰にも止める事はできなくなるでしょう。
ヴェルサイユ条約、ポツダム会談、ヤルタ会談のような節目の会談が行われるまで続くという事になりますが、それはどこかの国が敗戦国になることを意味しています。
しかも、現代戦争では、核による被害を考えなければなりません。
第三次世界大戦が起これば、世界的な戦死者数を大幅に更新し、広い地域が焦土化することになってしまうのです。
まとめ
第二次世界大戦の後、ソ連とアメリカは冷戦を始めました。
各国は、核兵器の保有合戦を繰り広げ、世界で植民地処分に関連する紛争が傷跡としてくすぶり続けることになりましたよね。
戦争の傷が癒えないまま、また次の戦争が起こる・・といった事を繰り返している人類史ですが、そろそろ終わりにして欲しいものです。
第三次世界大戦がどうなるのか現時点では分かりませんが、問題児となる国は大きな敗戦で変わったという共通点があります。
かつては敵国だったフランスとドイツも、今では国連で手を結びあっています。
こうした進歩的な学習ができない国というのは、実害として大敗するまで変われない気もします。
だからといって、彼等が学ぶために戦争をしていたら、命がいくつあっても足りませんよね。
腹立たしい争いが続いていますが、世界が冷静にベストな道を選ぶことを願うばかりです。
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