ジュディマリ(JUDY AND MARY)は、今でも再結成を望む人がとても多いバンドです。
先日、ジュディマリの再結成にまつわるニュースが流れ、彼等の不仲説等、様々な憶測が飛び交いました。
この記事では、ジュディマリの軌跡を振り返りながら、解散から再結成の可能性についてまとめています。
ニュートラル(客観的)な視点での話が知りたいという人は、ぜひ読んでみてください。
CDを買わせる実力
ミュージシャンの中には、「レジェンド」という称号が付く人達がいますよね。
マイケルジャクソンやビートルズのように、誰もがレジェンドだと認めるケースもあれば、一部の人達に愛されるレジェンドもいます。
どちらにしても、いつの時代にも通用する魅力があり、唯一無二の存在であることが共通点だと思います。
日本にも、数々のレジェンドミュージシャンが存在しますが、「JUDY AND MARY」もその一つだと思います。
私は、特に熱烈なファンではありませんでしたが、だからこそ、彼等の凄さを客観的に語れると思っています。
皆さんは、新しく出現してきたミュージシャンのCD(アルバム)を購入するとしたら、何が決め手になるでしょうか。
ルックス、声、音楽性、演奏テクニック等、色々な要素があると思いますが、考えてみれば、自分達を全く知らない人に数千円を投じさせるのは、想像以上に難しいことです。
JUDY AND MARYがデビューした当時、あまり迷うことなくCDを購入した記憶があります。
「買っても損にはならない」と直感的に確信させてくれるパワーがある珍しいバンドでした。
振り返ってみれば、私がこのような直感的即決購入をしたバンドは、ミスチル、JUDY AND MARY、東京事変の3バンドだけです。
それ以外にも色々なバンドのアルバムを購入しましたが、どれも人に薦められたとか、特定の楽曲が目的で購入しています。
初見のユーザーに即決購入させるバンドは、とても稀有な存在ですよね。
そして、それがレジェンドバンドの共通点の一つでもあるのだと思います。
アルバムの特徴とバンドの変化
JUDY AND MARYは、新アルバムがリリースされる度に変化を感じるバンドでした。
デヴューアルバムの「J・A・M」は、ややパンク色が強くて、YUKIの声が強烈な武器になった一枚でしたよね。
二枚目のアルバム「ORANGE SUNSHINE」では、皆がイメージするJUDY AND MARYの形態へと移行した感があります。
ボーカル力もさることながら、演奏も卓越していて、「なんだかスゴイのが出てきたな」と改めて感じさせられたアルバムでした。
当時、ドラムで4ビートと裏打ちを曲中で組み合わせるという構成をとるドラマーはあまりいませんでした。
このアルバムでは、ドラムセンスにも新しい刺激を受けました。
当然、YUKIの存在感は大きのですが、このアルバムでは他のメンバーの演奏センスも際立っていました。
特に、バンド経験がある人は、彼等の才能を色々な部分に感じるはずです。
3枚目のアルバムは、「MIRACLE DIVING」。
このアルバムでは、「OVER DRIVE」、「ドキドキ」、「KYOTO」等のヒット曲も発表され、人気に拍車がかかった時期です。
実は、私は3枚目以降のアルバムは購入していません。
元々、熱烈なファンではなかったので、レンタル等で借りて聴くようになりました。
決して、3枚目以降がダメということではなく、個人的な事情です。
相変わらず、良い曲を作っているバンドだとは思いつつも、当時はどこかマンネリ化したようにも感じていたからだと思います。(よく聴けばそんなこともなかったのですが)
4枚目の「THE POWER SOURCE」以降は、すっかりJUDY AND MARYというバンドの立ち位置が固まって、「このバンドでの音楽の追求」という意味で一段階上のステージへ移行したような印象です。
再びCDを購入したくなるくらいに名曲が詰まったアルバムでしたが、当時の私は海外のバンドに夢中になっていたので、購入には至りませんでした。
このアルバムがベストだと感じている人も多いかもしれませんね。
「そばかす」、「くじら12号」、「クラシック」等、4枚目にしてこんなにもヒット曲がつくれるものなのかと脱帽したものです。
5枚目「POP LIFE」は、2枚目のミリオンセラー作です。
個人的には、このアルバムはYUKIよりも各メンバーの個性が発揮され始めた気がします。
ミュージックファイター等、これまでと少し違うタイプの楽曲も収録され始めました。
表現的に適切かどうかわかりませんが、「一つのスタイルに収まるのをやめた」という感じがしました。
この時期は、良い意味でJUDY AND MARYっぽさを改革しているような印象を受けます。
そして、6枚目の「WARP」では、同時に解散を発表しました。
集大成的なラストアルバムとなり、「最高のアルバムができた」というメッセージとラストツアーを最期に去っていくことになります。
世間で特にヒットしていたのは、「ラッキープール」だったように記憶しています。
個人的には、YUKIのボーカリストとしての完成度が最も高いアルバムではないかと感じます。
声の伸びとか声量の部分では若い頃の方が上回っていたかもしれませんが、パフォーマンス等も含めて総合的に見ると、この時期がバンドボーカルとしての成熟期だった気がします。
最期に最も成長を感じさせてくれたのが、意外にもYUKIだったというのは私だけでしょうか。
時代を超えた魅力
レジェンドと呼ばれる人達の楽曲は、定期的に「ふと聴きたくなる」という共通点もあると思います。
最近では、一周回って「あの頃のバンドは凄かったな」と思うことも多いです。
プロの中でも、地声に近いレンジで歌う人が増えていて、毎回のステージに全力投球するような熱量のあるボーカリストが減ったと思います。
カラオケボックスが無い時代は、単純にボーカリストの歌唱力やカリスマ性で世に出てくるバンドが少なくありませんでした。
いつしか、消費者側が「自分が歌えるかどうか」を考え始めるようになり、音楽業界の産業構造が変わってしまったのかもしれません。
ジュディマリよりも前の時代には、REBECCA(NOKKO)、PRINCESS PRINCESS(奥井 香)、SHOW-YA(寺田恵子)、PERSONS(JILL)等、パワフルに全力で歌うボーカルがたくさん存在していました。
一生懸命に全力でステージに立つ彼女達の姿に勇気をもらった人も多いと思いますし、だからこそ時代を超えてリスペクトされるのでしょう。
今思うと、JUDY ADN MARYは、そんな時代の変化の狭間で活躍した最後のバンドだったようにも思います。
JUDY AND MARYの再評価
JUDY AND MARYは、今現在でも充分にレジェンドバンドだと言えるかもしれません。
しかし、彼等を過小評価している人もいますよね。
個人的には、今後は更に再評価されていくのではないかと思っています。
私自身、彼等が活動していた全盛時代よりも、今になってその凄さが分かってきた部分があります。
最終アルバムでは、『JUDY AND MARY=YUKIの声』という方程式を超えたバンドになったと感じます。
要するに、演奏だけでも聴いていられるような、素晴らしいバンドということです。
後続のミージシャン達にJUDY AND MARYを越えたと言い切れるバンドが無いことからも、その底力と魅力が証明されているのではないでしょうか。
事実、JUDY AND MARYを生で見れなかった若い世代も、YouTube等を通じてファンを増やしているようです。
今更ながら、ボーカルとしての声の特異性、楽曲の良さ、個性的な演奏、高い技術、独自の作詞力等、多くのバンドが数個しか持てない要素を全て兼ね備えていたことに気付きます。
解散理由について
ジュディマリの解散については、TVでドキュメンタリー番組が放送されたことがあります。
この中でYUKIやメンバー達がそれぞれの解散理由等を語っています。
勿論、メディア向けの体裁はあったと思いますが、本音の部分もたくさんあったように感じます。
番組内容を知らない人のために、この時の解散理由をまとめておきますね。
元々、ジュディマリはベースの恩田さんが中心になってメンバーを集めた経緯があるそうです。
いわゆるリーダーというやつで、最も音楽経験の長い人がこのような立場になるのが一般的です。
タクヤも、バンド結成当初から刺激を受ける存在として意識していたようで、恩田さんから多くのことを学んだと語っています。
ジュディマリの解散は、その恩田さんの脱退から始まりました。
実は、解散が前提のバンドだった
意外だったのは、結成当時から「すぐに解散するだろう」という暗黙の了解があったそうです。
バンド結成当時は、それぞれの音楽性もかなり異なっていて、長続きするとは思えなかったとのことでした。
特に、タクヤは、自分の得意ではないジャンルを無理にこなしていた節があったようで、やっていくうちに自分のスタイルや楽しさを見出したといった感じのようです。
そんな思いで活動していた為、毎回、「今回のアルバムが最後かも」という気持ちで制作をしてきていました。
恩田さんとしては、自分達のやりたいことは全て出し切ったという気持ちが高まった時期でもあったようです。
タクヤの作曲した楽曲がヒットするようになってきた事や、タクヤとYUKIの交際等も恩田さんのモチベーションを下げた要因だと言われています。
色々な事が重なって、「バンドとしての成熟期を過ぎた」と感じたのでしょう。
プロデュース側の立場へステップアップしたいという気持ちもあったのだと思います。
メンバーの思いと決断
当時、タクヤは違う人(ベーシスト)を入れてバンドを継続する選択肢もあると考えていたようです。
ドラムの五十嵐氏は、完全に巻き込まれた感がありますが、あまり多くは語らない大人な対応でした。
五十嵐氏も、ベースの入れ替え案にはニュートラルな立場をとっていたようです。
しかし、YUKIだけは違いました。
恩田さんがいなくなるなら、「それはもうジュディマリではない」と主張し、彼が抜けるなら解散しかないと言い切りました。
YUKIには、恩田さんに対する敬意と感謝があり、彼女の中で解散が「筋を通す唯一の選択」だったのです。
私は、ジュディマリが終わってしまう事が最も辛かったのは、これを決めたYUKI本人だったのではないかと思います。
解散ライブが終わった時、それぞれのメンバーは比較的にクールでした。
その中で、解散を切り出したYUKIが、最も取り乱していたのが印象に残っています。
「本当に終わっちゃった」と泣き出す彼女の姿から、ジュディマリ愛を強く感じました。
再結成について
先日、YUKI以外のメンバーから再結成の話が出ていると話題になりました。
解散以降、YUKI以外のメンバーは交流を続けており、再結成はYUKI次第なのだというような発言があったからです。
また、連絡をとろうとしてもコンタクトできない状況で、YUKIが4人で話し合うことを避けているかのような報道があったのです。
これについて、巷ではあれこれと憶測が飛び交い、YUKIがソロ活動の邪魔になることを理由に、再結成を阻止している等と噂されました。
でも、彼女は、自分のソロ活動(私利私欲)のために何かを企てるようなタイプだとは思えません。
むしろ、TV等で見ている限り、「白か黒か」というハッキリした性格のように見えます。
おそらくですが、「一度辞めたものを復活させる」という行為は、彼女の中ではブレることになると感じるからなのではないでしょうか。
解散の重みの相違
解散当時、YUKIにとってジュディマリは結婚相手のように大切なものだったと思います。
だからこそ、「1人でもメンバーが欠けるなら解散」と、その覚悟をメンバーに突きつけたのだと思います。
当時、メンバー全員で話し合い、解散という選択をした重みは、メンバーに白黒を突きつけたYUKIが最も強く感じていたでしょう。
「一度壊してしまったら修復できない大事なもの」だったと思います。
YUKIにとっては、気軽な再結成に対しては、「あの解散は、そんなに軽いものだったのか」という怒りさえあるのではないでしょうか。
一度離婚した相手と、「久しぶりにまた一緒に暮らそうよ」と言われても、それは違うでしょという話です。
YUKIからすれば、「だったら解散なんかしなければよかったでしょ」というのが本音ではないでしょうか。
大きな災害に対する復興支援等、余程のことが無い限りは再結成できないという感覚だと思うのです。
私は、彼女の熱心なファンではありませんし、客観的な立場からこの話題を見ています。
YUKIのようなタイプの人の気持ちを考えると、あの解散で最も傷ついたのは彼女だったのではないかと思えてなりません。
JUDY AND MARYへの想いが強いからこそ、YUKIの中で「復活するなら当時と同じかそれ以上で」という事も条件になってくるのかもしれません。
年齢的にも、今の彼等にそれが厳しい事は明らかです。
また、パフォーマンス低下の煽りを最も受けるのは、ボーカルのYUKIでしょう。
外野の人達は、歌う人(矢面に立つ人)の立場や気持ちを考えることができないのかもしれません。
まとめ
レジェンドと呼ばれる存在になる人達は、より多くの要素を持っているものです。
また、「このメンバーだったからこそ実現した」という奇跡も感じさせてくれますよね。
先日、ラストコンサートの演奏を観たのですが、個々の力が『バンド』という形で倍増されている域に達していて、とても完成度が高かったです。
もしも、ジュディマリの再結成があるとしたら、YUKIが納得する形である事は間違いありません。
これまでの経緯を思うと、JUDY AND MARYは、平成のレジェンドバンドとして殿堂入りで終えるのが良い気もします。
皆さんは、YUKIの立場から見た「再結成」について、どう感じたでしょうか。