その昔、京王御稜線(昭和6年開線、昭和20年廃線)という電車が走っていました。
現在の京王電鉄が京王帝都電鉄という名称だった頃の話で、知る人ぞ知る幻の廃路線です。
私は、当時の京王開発関係者(友人の父)と、現在の土地所有者の両方と繋がりがあり、この記事を書いています。
鉄道ファンや、歴史的な文化遺産等に興味のある方に向け、ここでしか知り得ない貴重な情報をお届けします。
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御稜線の跡地
御稜線は、もともとは多摩御陵への参拝者が利用するための路線でした。
平日は、北野駅から多摩御陵前の間で往復しており、当時の参拝者の足として活躍していたようです。
この線路沿いにお住いの地主さんは、当時の様子をよく覚えていて、「いつもここから電車が通るのが見えたよ」等と懐かしそうに話してくれました。
廃線の後、京王電鉄による宅地開発が計画され、この際に一部路線を復活させることになったようです。
当時、京王帝都電鉄から地主さんに土地交換の話があり、御稜線の跡地を所有することになった経緯があるようです。
この土地交換の話は、鉄道ファンでも知らない人が多いのではないでしょうか。
高尾線になった際の秘話
御稜線は、最終的にはその一部が京王線の高尾線に生まれ変わりました。
この際、現在の高尾線の底地を持っていた土地所有者に対して、「御稜線の跡地と交換してくれませんか」といった話があったわけです。
部分的に土地を購入したり、地積の精算と交換等を行って線路敷設のための土地を入手したという事だと思います。
この場所は、現在の山田駅とめじろ台の間あたりに位置します。
※私有地の為、断りなく立ち入ることはできません。
細長くて平らな土地が、農地(生産緑地)として使用されてきました。
土地交換の際、何らかの手違いで国又は八王子市へ寄贈される部分が放置されていた(公図がない)ことが最近判明しました。
御稜線が走っていた跡地にはフェンスがあり、今でもその下に埋設管等があるそうです。
生産緑地は固定資産税が安くなるので、広い土地を持つ地主の間ではよく採用されていた節税対策です。
この節税対策のおかげで、当時のまま30年間保存される結果となり、今では数少ない御稜線の形跡地となった経緯です。
2022年12月現在も、御稜線跡地の農地には当時の京王帝都電鉄が設置した境界石(土地の境界を明示する石)が埋まっています。
私有地なので承諾なく立ち入ることはできませんが、鉄道の歴史的にとても貴重な場所ですね。
境界石が撤去される予定
境界石というのは、基本的に動かす事のない印です。
特別な事情がない限りは撤去することができないものですので、原則として個人の所有物になることはありません。
ところが、山田町に遺された京王帝都電鉄時代の境界石は、既に使われておらず、残置物の扱いになっています。
役目を終え、現在は使われていない境界石なので、所有者の意思で自由に撤去(売買)も可能な状態という事です。
但し、結構な深さまで埋まっているので、一人で掘り起こすのは難しいです。
欲しい人に販売することも可能です
近々、この境界石を撤去する予定があるのですが、もしこれを欲しいという方がおられれば、お譲りすることも可能です。
今なら、現地で一緒に掘り起こす作業をしていただくこともできます。
おそらく、京王帝都電鉄のマークが入った境界石を所有できる機会はこれが最後です。
御稜線の傍らで走行振動を受け、現在までその痕跡を伝えてきた境界石を保存できるチャンスですので、興味のある方はご連絡ください。
ある意味では、歴史的な文化遺産と見ることもできる一品ですよね。
土地所有者に外部への販売保存を提案してありますが、2023年夏までには撤去が完了してしまいます。
できれば、鉄道の歴史的価値に共感する人にお譲りし、大事に保存してもらえたらと思っています。
ご興味がある方は、お問合せフォームからお問合せをお急ぎください!
まとめ
開発行為が行われる予定がある為、御稜線時代の境界石は間もなく撤去されます。
世界に1つしかない鉄道遺産を入手するチャンスですので、六角精児さんのような廃線マニアのような方に保有してもらうのが理想だと思っています。
本当に、ネット上のどこにも掲載されていないココだけの話ですので、鉄道マニアの知人等がおられる方は、耳に入れてあげてもらえればと思います。
また、鉄道系のお店に展示するとか、個人的なコレクションとして保有するのも良いのではないでしょうか。
価格交渉等、お気軽にどうぞ!