誰もが平和を望んでいるのに、世界中のどこかで必ず争いが起こっていますよね。
いつの時代も、何故か犯罪や殺人が絶えません。
少しくらい、完璧に平和だった時代があっても良さそうなものですが、人類の歴史のどこを切り取って見ても、ずっと争い続けています。
歴史的事実からすれば、人類には平和を手に入れる才能がない・・という結論になってしまいます。
しかし、それでも多くの人達は平和を祈り続け、そんな世界を実現したいと思っていますよね?
本気で願い、それに向かって努力し続ければ、大抵の事は実現できるはずなのですが、事実として人類は未だその域に到達できていません。
これは、何か決定的な問題がある・・という事ですし、誰もが平和への認識を間違えている可能性があるという事でもあります。
向上本能との矛盾
動物には、現状以上の状態を実現しようとする本能があります。
この本能が、もっと食物を手に入れたいとか、もっと良い場所に住みたいといった欲求に繋がっていき、それが争いの基でもあります。
生物同士が争う理由は、いつでも本能的でシンプルなものです。
これだけ科学が進歩したのに、精神性は低能なままなんですよね。
全員が同じ家に住み、同じ給料を与えられ、平和に暮らせる場所を創ったとしても、必ず争いは起こります。
誰かが必ず「もっと」という向上本能を発動させるからです。
全ての争いは、もっと良い家に住みたい、もっと給料が欲しい、もっと自慢したい、もっと羨望されたい等、現状に満足できない気持ちを行動に変えることから始まります。
これって、誰かが悪いというよりも、そもそも人類の一人一人に平和の才能が無いってことを意味していると思いませんか?
平和のために今できる事
結局のところ、権力を持った人達が、私達とはレベルの違うところで向上本能を出すことによって戦争が起こってしまうってことですよね。
欲しがるものの規模が違うだけで、私達も日常的に争いを続けている面があるということだと思うんです。
特に、経済活動においては、常に戦いが繰り広げられていますから、小さな戦争が目の前にいつでも存在しているのです。
極端に言えば、私たちも日々、小さな戦争をしているんです。
厳密に言えば、他人の子供よりも自分の子供が可愛いと思っただけでも、平和な思考ではないですよね。
そこで、皆さんが本当に平和を望んでいるのなら、今すぐに出来る事があります。
それは、他人を羨む気持ち、自慢したい気持ち、目立ちたい気持ち、幸せを比較する気持ち等、争いの基となる感情をできるだけ制御することです。
つまり、不必要にアウトプットせず、現状よりも多くを望まないことが、私達が今すぐ平和のためにできる事です。
自分の幸せについて人に語らない(自慢しない)、という行動も平和のためにできる事の1つってことです。
ところが、時代は逆行していて、SNSやインターネット等によって、自分の幸せ(自慢情報)をいつでも発信できてしまいます。
これって、たぶん、戦争が起こりやすい世界になっているって事でもあるんですよね。
平和に必要なもう一つの能力
必要以上の状態を望まないという精神性を身につけたとしても、何も楽しみがない人生ではつまらないですよね。
ですから、実際には少しの欲を糧にしながら、日々努力していくことになります。
そもそも、人類が全員カトリック信者のようになるなんて、到底無理な話です。
ですから、別の方法で平和を手に入れるしかありませんよね。
そのために必要なのが、向上本能が出すぎている事に気付く能力です。
自分が何かを望み過ぎていたり、感謝が足りなくなっている事に気付くスキルをつけることなら、誰にでもできそうですよね。
ようするに、小さな争いで終わりにして、仲直りをする意識です。
大きな喧嘩が起こらなければ、それはそれで一種の平和実現ですよね。
人類の精神レベルで到達できる平和の形は、そんな形が精一杯な気がします。
ウクライナの件もそうですが、僕にはそんな風に思えてなりません。
一生懸命に働いて税金を納め、その税金で自分達を殺すための兵器が買われ、実際に使っています。
そして、各国が、人を殺すための兵器を買うための予算を組んでいます。
人類って、馬鹿すぎて悲しくなりますよね。
平和な思考
あなたは、戦争行為を擁護しますか?
この質問にYESと答える人は少ないと思います。
では、こう聞かれたらどうでしょうか。
人を羨んだり、人に自慢をしたことがありますか?
これ、少なからず誰でもあるんじゃないでしょうか。
新しい物を買った時、ついつい「これ、買ったんだよね」なんてアウトプットをしてしまうことなんて、日常的にあると思います。
人を羨む(羨ましがらせる)気持ちは、最終的には他国の利権を奪う行動に繋がります。
人に自慢をすれば、誰かから奪われるリスク(侵略されるリスク)を生みます。
本人にそんな意識はないでしょうが、こういった行動って、戦争を助長しているのと同じだと思わなければいけないんでしょうね。
多分、各自が国民レベルで精神的向上をしなければ、戦争は無くならないってことなんですよね。
少なくとも、歴史的事実はそれを証明していると思うんです。
宗教が教えている事
全人類が平和的な思考に到達した時、人類の精神性は向上したと言えるのだと思います。
とても簡単な事なのですが、とても難しい事でもあるわけです。
この原理は、カトリック等の宗教で戒律として実行されていますよね。
仏教上の精進って考え方なんかも、これと同じだと思います。
贅沢をするなってことではなくて、争いを生まない生き方を教えてるんだと思います。
平和を実現するために、今ある幸せに感謝し、満足するという生き方を教えている気がしますよね。
本来は、戒律といった形ではなく、苦しみや忍耐もいらないくらい自然にそんな生き方ができなければダメなんでしょう。
そうでないと、本当の平和は得られないですもんね。
聖書や仏教等でも、教えている事は同じなのではないでしょうか。
ただ、人間がそれを正しく受け取る能力がなく、断片的にしか理解していないという事なのだと思います。
私は詳しく知りませんが、宗教等が示している内容は、地球外生命体が我々に与えてくれた叡智である可能性もあります。
そうだとしたら、きっと宗教を利用する人達が話を屈折させてしまったんだと思います。
だから、本来は宗教が言っていることって、信じる信じないではなくて、人類がやらなくてはいけない事とか持たないといけない思考なんじゃないかなって思うんですよね。
それも、自分達の幸福と未来のためにです。
もし、武器を買うお金を、皆が幸せに暮らすために使っていたら、世界はどれだけ豊かになっていたでしょうか。
それが、宗教が教える事の答えだと思うんですよね。
現状の宗教の立ち位置って、ちょっと利権的すぎて悲しいです。
宗教を知らない自分だから、本来の役割がそんな風に思えるだけなのかもしれませんが・・。
まとめ
世界から戦争が無くならないのは、人間全体の精神性が低いからです。
個々の意識が高まれば、選ばれるリーダーや政治家の質も向上するということです。
利己的な思考が蔓延している限り、誰もが戦争を助長しているのと同じです。
公務員を批判している人でも、自分が公務員になったら文句を言わないんです。
そんな人達が大統領のような立場に立っても、おそらく自国の利得しか考えないという事なんですね。
誰もがそんな大統領になる可能性があり、自分を見つめ直していかなければいけないんだと思います。
小さな事ではありますが、平和のために自分ができる事って、平和的思考の真意を認識する事だと思います。
この記事が、どこかで世界平和の種の1つになっていれば幸いです。