宇多田ヒカルさんが作詞・作曲をし、NHKのドラマの主題歌にもなった『花束を君に』という歌があります。
私は、この曲を知らずにいて、コロナウイルスの自粛中(GW)にたまたまYOUTUBEで目にして知りました。
歌詞の意味も知らないまま、感覚的に素敵な曲だなと感じ、ギターで弾いてみたり、歌詞をよく読んでみたりしました。
繰り返し聴いていると、色々とスゴイ部分に気付かされます。
既に聴いたことがある人も多い曲なのだとは思いますが、歌詞や、音楽的な視点からこの曲をご紹介してみたいと思います。
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歌詞(作詞力)がスゴイ
この歌詞からは、大切な女性との別れを経験していることが読み取れます。
具体的なシーンを見せないまま、上手に構成されているので、一見して恋愛での別れのようにも見えてしまいますよね。
曲調もわりと明るめですし、初めて聴いた時には、よくある失恋の話を歌っているのかと思いました。
しかし、歌詞をよく見ていくと、ただの恋愛では有り得ない表現があることに気付きます。
その言葉のチョイスが絶妙で、聴き手の人生に自由に当てはめられる意識を感じます。
きっと、まだ人生経験が浅い世代の体験にも当てはめられるような形を目指したのだと思います。
宇多田さんの歌には珍しいとおもうのですが、この歌には英語が一度も出て来ません。
そんな所からも、何か特別なメッセージが込められている気がしますね。
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薄化粧の意味がスゴイ
冒頭の歌詞は、以下のように始まります。
普段からメイクしない君が薄化粧した朝
始まりと終わりの狭間で
忘れぬ約束した
花束を君に贈ろう
愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても
真実にはならないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
普通に読むと、普段は化粧をしない彼女が、珍しくメイクをした朝という風に受け取ってしまいます。
しかし、この薄化粧の意味を、棺桶の中で眠る君(埋葬の時の化粧)だとしたら、序盤から涙が溢れてしまう歌詞だと思いませんか?
この解釈が正解だとしたら、ストーリーの隠し方が凄いですよね。
そうなると、「始まりと終わりの狭間」は、恋人同士の単純な別れではなく、生死の別れを意味します。
1人で生きていく人生の始まりと、彼女との人生の終わりです。
死に際に、何か彼女と忘れられない約束をしたのでしょう。
「どんな言葉を並べても真実にはならないから」は、もう何を言っても、それを真実としてこの世に存在させる(彼女と共有する)ことができないという事でしょう。
もっと言えば、「なんでもするから生き返って」と言っても、決して現実にはならないという悲痛な叫びです。
そして、必死に見送ろうとしている心境を、「花束を贈ろう 涙色の」と表現しているように思えます。
とても心に刺さる歌詞で、文芸の域とも思える出来です。
想いの表現がスゴイ
毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く
ただ楽しいことばかりだったら
愛なんて知らずに済んだのにな
花束を君に贈ろう
言いたいこと 言いたいこと
きっと山ほどあるけど
神様しか知らないまま
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
両手でも抱えきれない
眩い風景の数々をありがとう
普通の別れ話なら、「出会わなければ辛い思いをせずに済んだ」という趣旨の内容でも成り立ちます。
しかし、この歌では、毎日の人知れぬ苦労等を支えてくれた相手であったことが書かれています。
つまり、長い間、苦楽を共にし、自分を支えてくれた人だったことが読み取れます。
楽しいことばかりではない人生だからこそ、支えてくれる人との特別な愛を知ったという事でしょう。
相手への深い想いが伝わってくる、大人の歌詞ですよね。
そして、「きっと」という一言が、言いたい事も整理がつかない程、失ったものの大きさを感じさせます。
普通なら、「君に言いたいことがたくさんある」等と言い切ってしまいますよね。
「きっと」と付けることで、自分でも最後に何を彼女に伝えたいのか分からなくなってしまう程、取り乱し、自分を見失っている様子が表現されていて、それでも必死に見送ろうとしている心情が読み取れます。
思い出などという平凡な質量ではなく、「眩い風景の数々」という人生単位の日々に感謝する気持ちが、上手に表現されていますよね。
想像だけの世界では、なかなかここまで主人公の心情に寄り添えないものだと思います。
きっと、宇多田ヒカルさんの人生においても、同じような経験があったのでしょうね。
大人になった彼女だからこそ、こんなにリアルで繊細な歌詞が書けたのだと思います。
別れの演出がスゴイ
世界中が雨の日も
君の笑顔が僕の太陽だったよ
今は伝わらなくても
真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に
花束を君に贈ろう
愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても
君を讃えるには足りないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
印象的なのは、「もう一度だけ」等と言わず、「たった一度」という表現をしている点です。
私は、ここに違和感を覚えて、この歌全体の意味を考え始めました。
生きている人が相手なら、もう一度抱きしめてとか、君のぬくもりが云々、というレベルで終始しがちです。
「たった一度」という表現は、もう有り得ないという前提を見事に一言で表現していますよね。
もしかすると、宇多田さんがお母さんを亡くした時の気持ちが反映された歌なのかもしれません。
最後に一度だけ抱きしめて欲しいというニーズは、少し女性的だからです。
主人公は男性のように思えますから、母親の死に直面している男性の歌なのかもしれません。
メロディがスゴイ
歌詞を文芸的につくりこんだせいかもしれませんが、メロディーの歌いまわしが微妙に変わっていきます。
歌詞を省略せず、歌いまわしの工夫で馴染ませた感じがしますよね。
「狭間で」の部分は、嘆きのようにも聞こえる歌いまわしです。
「ありがとう」の部分では、悲し気な雰囲気になり過ぎないよう、意図的に暗さを消しているのではないでしょうか。
良く聴くと、「花束を」と「君に」の間を繋げて歌わず、少しだけ音を切る意識を感じます。
この辺りの細かい配慮も、涙と悲しみをグっとこらえる感覚が演出されている気がします。
聴覚的な演出がスゴイ
随所に、ため息のような演出が入っているのに気付きましたか?
そして、最後のサビ付近では、その呼吸が少し荒くなる演出が施されていますよね。
いよいよ、物理的な存在としての別れが目のまえに迫っているような雰囲気が出ています。
とてもショックを受け、まともに息が出来なくなる程に動揺しているような感じでしょうか。
この曲に潜む、底知れない哀しみを、このような演出で表現しているのだと思います。
すごい発想ですし、音楽的構成としても凝っています。
歌声も低音域一杯まで使っていて、最後のサビでは高音域まで振り上げていますね。
マイナーコードを多用せず、明るい曲調の中で低音よりの助走をするセンスも憎いです。
演奏(編曲)面では、時折、バイオリンの音が心の緊張感を表現しているようにも聞こえます。
一瞬、現実を受け入れそうになる時のハッとした感じを表現したのではないでしょうか。
また、ドラムのエフェクターは、心臓の鼓動を表現しているように聞こえます。
また、サビに入る前に独特の間があります。
人によっては、収まりが悪い印象を持ったかもしれません。
拍子をスムーズに移行させず、一瞬途切れた違和感のような演出も、時が止まったような心の動揺を演出したかったのではないかと思います。
まとめ
正直に言えば、私は、宇多田ヒカルさんの特別なファンではありません。
彼女の曲も、かなりヒットした(若い頃の)曲しか知らないのですが、最近発表される歌には気になるものが増えました。
オシャレさや音楽的センスの面で喝采を浴びたいというニーズではなく、自分の音楽にもっと深いものを追求されていると感じる、数少ないアーティストの一人です。
新しい事、カッコイイ曲、といった事にばかり目がいきがちですが、この曲に出会って、そんなものがとてもチープに思えてくるのは私だけでしょうか。
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